一迅社文庫アイリス アイリスNEO

一迅社文庫アイリス毎月20日頃発売★ アイリスNEO毎月初頭頃発売★ 少女向け新感覚ノベル

Special Page 特集ページ

バスタイム・ラブタイム

何がどうしてこうなったのか。
そう今更自分に問いかけることほど愚かしいことはないのだろう。今更だ。今更なのだ。
そう、すべては私が悪い。私の罪であり咎である。ならば私は償わねばならない。贖わねばならない。
そんなことは解っている。嫌というほど解っているのだけれど、だがしかし、それでも、それでも私は——……

「往生際が悪すぎる。いい加減覚悟を決めたらどうだ」
「きゃあああああっ!」

目の前の薄曇りの細工がなされたガラス製の扉が開け放たれ、その向こうに引きずり込まれる。
不意打ちだった。完全に油断……というか思考に没頭していたせいで、なすすべもなく、そのまま濡れた胸板に飛び込むような形になってしまった。

「エ、エエ、エエエディッ!」

顔が熱いのは、決してここが、ほかほかと湯気で満ちた浴室であるからというばかりではない。私よりも一足先に浴室に入り、さっさと湯浴みをしていたこの男のせいだ。
決して分厚くはないというのに綺麗に筋肉がついた、まるで彫像のようなその濡れた胸板は、湯を浴びたせいで薄紅に上気している。それを間近で見せつけられては、いくら私と言えども平常心でいられるわけがない。
そうだとも。いくら……そう、いくら、その、ええと、まあなんだ、夜にベッドの上でそのぬくもりを教え込まれていたとしても、それはそれ、これはこれなのである!
その腰にタオルを巻いて下半身を隠してくれていたとしても、とんでもない絶世の美貌と、ぞくりとするようなスタイルの持ち主から放たれる、この匂い立つような色気。
まるでチューベローズの香りを胸いっぱいに吸い込んだかのようなそれは、あまりにも刺激が強すぎる。自分もまた、タオル一枚であるならばなおさらだ。

「エディ、その、お願いですから放してくださいまし! それから、ああああの、えっと、あちらを、あちらを向いて……っ!」
「……まだそんなことを言っているのか?」
「だ、だって」
「まあそういう反応も、これはこれで実に好ましいが、今回は別だ。お前が自分で了承したことだろう?」
「それはそうですけれども!」

ああそうだ。そうだとも。この事態、すなわち、我が夫であるエギエディルズ・フォン・ランセントと、この私、フィリミナ・フォン・ランセントが、一緒にお風呂に入るという、この状況。
それはすべて、前述の通り。
私の罪であり咎に対する、私の償いであり贖いである訳なのである。

事の始まりは、つい数時間前にさかのぼる。

結婚してから引っ越ししてきたこのランセント家別邸の中庭は、季節ごとに美しい花々が咲き誇る。おかげで我が家は、わざわざ花屋さんに行かずとも、いつだってあちこちに花を飾ることができるのだ。
甘い香りに事欠かない我が家は、自分で言うのもなんだが、正に新婚さんのお宅である。
ちょうど今は、薔薇の盛りの季節だ。
背が高く伸びるように整えられた薔薇の木から、寝室に飾るための薔薇を園芸ばさみで手折ろうと、脚立を持ち出したのがきっかけだった。
そうだ、そこまではよかった……とは言いがたい。よくよく考えてみれば、わざわざ高い位置の薔薇を手折ろうとしなくても、低い位置で咲いている他の花でもよかったのに、ああそれなのに。
ついつい調子に乗って、いつものドレス姿のまま脚立を登った私は、裾を踏んで脚立から落ちた。正確には、落ちかけた。すぐそばのベンチで今日も今日とて読書に勤しんでいた男が受け止めてくれたことで、幸いなことに私は事なきを得たのである。
そう。『私は』大丈夫だった。無事ではなかったのは私を助けてくれた男の方だ。
ベンチから即座に立ち上がり私を受け止めてくれたものの、その身体を薔薇の木に押し付けるようになってしまった男は、思い切り薔薇の棘で深く腕を引っ掻いてしまったのだ。
私が慌てふためき、幾度となく謝罪を繰り返すことになったとは言うまでもないことだろう。「気にするな」と男は言ってくれたけれど、気にせずにいられるわけがない。

——本当にごめんなさい、エディ。わたくしにできることなら、なんでもさせてくださいまし。
——……『なんでも』?
——え?
——『なんでも』と、そう言ったな?
——え、ええ、はい。言いました、けれ、ど?

自分で言っておきながら、何故だろう。その時、ものすごく嫌な予感がした。
その時点で撤回しておくべきであったと今ならば思う。けれどその時は本当に申し訳なくて、自分が情けなくて、私のために怪我を負った男に何かしてあげたくて、だからこその『なんでも』だった。
その『なんでも』を何故だか二度も強調して問いかけてくる男に頷きを返した私は、次の瞬間、その時感じた嫌な予感が、予感ではなく確信であることを知った。男が、それはそれは美しく、にっこりと微笑んだからだ。
いやはや本当に美しい笑みだった。それはもう誰もが見惚れずにはいられないに違いないと断言できる、魅力的な、あまりにも美しすぎる笑みだった。
しかし見惚れるよりも先に凍り付く私の頬に、薔薇の棘による痛々しい引っかき傷が生々しく残る白い手を寄せて、男は言った。

——今夜、ともに、風呂に入ろう。
——…………はい?
——聞こえなかったか?

だから、風呂に入ろうと言っているんだが。
そうご丁寧に繰り返してくれる男の顔は、どこまでも大真面目だった。大真面目すぎて逆に私の方がやはり聞き間違いをしているのでは? と思わずにはいられなかった。
その後、男の手を手当てさせてもらってから夕食の時間まで、男はいつも通りの様子だったから、『お風呂に一緒に入ろう』発言はやはり冗談だったのかとほっとしていた私は甘かった。現実は残酷だった。
らしくもなくウキウキと自らお風呂を沸かしてくれた男は、「約束の時間だ」とこれまた美しく微笑んでくれたのである。思わずその場に崩れ落ちた私は間違っていないと思う。
「本気だったのですか!?」と悲鳴混じりに叫ぶ私に、まるで私の方がおかしいとでも言いたげな様子で男は「当たり前だろう」とこれ見よがしに首を傾げてみせたのである。
なんとかその提案を却下しようと私はごねにごねたのであるが、最終的に「ああ、傷が痛むな」と包帯の巻かれた手を撫でる姿を見せつけられ、白旗を上げる運びとなった。誠に遺憾の意である。

そんなこんなで、話は戻る。

なんとか先にお風呂に送り出し、私は私でタオル一枚の姿にまでなったものの、男の言葉を借りれば『往生際悪く』、『いい加減覚悟を決める』こともできずに、脱衣所でうんうん唸っていた私は、他ならぬ男によって浴室に引きずり込まれる羽目になったと、そういう訳だ。ご清聴ありがとうございました。
ああああああもう、こんな、こんなことになるなんて。自分のうかつさが悔やまれてならない。男の姿が直視できない。
けれどそう思っているのは私ばかりのようで、男は私のことをじっと見つめてくるものだから居たたまれないことこの上ない。身体が焦げ付いてしまいそうだ。
どうしよう。どうすれば。
唯一頼りになる、身体に巻いたタオルを胸の前でぎゅうと握り込んで俯き続ける。
するとふいに、そっと私のあごに、男の手があてがわれた。思わずびくつきつつも、なんとか導かれるままに顔を持ち上げる。
そして、息を呑んだ。男が、驚くほど切なげな瞳で、私のことを見下ろしていたからだ。

「エディ……?」
「それほど」
「え」
「それほど、嫌か?」

俺と、風呂に入るのが。
そうゆっくりと続けた男の頭に、ぺったりと垂れたワンコの耳が見えた気がした。我ながら目を疑う事態である。
どちらかというとこの男はワンコというよりもニャンコだと思っていたのになぁ……って、問題はそこではない。おあずけを喰らったワンコのような姿に、ついついきゅんとときめいてしまった。あらまあかわいらしい、なんて思ってしまう私は相当末期だ。これも惚れた弱みだろう。
現状がこういう現状でなければ、その頭を思い切り撫でて、それから勢いに任せて頬に口付けくらいしていたかもしれない。しかし現状はこういう現状だ。タオルを改めてきゅっと引き寄せて、再び俯き、「べつに」と、かろうじて口を開く。

「嫌、では、ないです」

ただ、恥ずかしいだけで。とてもとてもとても、ものすごーく恥ずかしいだけで、別に、男とお風呂に入ることそのものが嫌と言っている訳ではないのだ。
うん、嫌ではない。本当に嫌だったら、いくら私が事の原因であるからと言っても、男たっての望みであると言っても、何が何でもとっととさっさとこの浴室から飛び出している。
それをせずに大人しく男の前に立っている時点でお察しというやつだ。言わせないでほしい。
ああ恥ずかしい。まだ湯船につかってないというのに、ますます顔どころか全身が赤くなっていくのが解る。
何故この男は何も言ってくれないのだろう。からかいでもなんでもいいから、何か話してほしいというのは、わがままだろうか。視線だけはばっちり感じるから、私の声が聞こえていないということはなかろうに、何故何も言ってくれないのか。恥ずかしいのは私だけか。私ばかりが焦って意識しているみたいで、だんだんいっそ腹が立ってくる。
理不尽だと解っていながらも男のことを睨み上げた私は、そこでぱちりと目を瞬いた。

「……エディ?」
「見るな」
「え、あ、でも」

男の顔が、全身が、先程までよりももっと赤く——それこそ真っ赤になっている。ぽかんと口を開けてその姿を見上げれば、男は包帯の巻かれた手で口を覆い、そのまま顔を背けた。濡れた髪から覗く耳もまた真っ赤だ。
あら。あらあらあら。まあまあまあ。これはこれは。つまり。

「————あなたまで照れるなんて」
「……うるさい」

先程までの余裕しゃくしゃくぶりが嘘のように、男は依然赤い顔を背けたまま吐き捨てた。そんな姿を見てしまったら、もうだめだ。今度こそ、両手で白旗を上げて、思い切りぶんぶんと振り回すことしかできない。
まったく困ったものだ。自分で聞いておきながら照れるくらいなら、最初から言わなければいいのに。私ばかりが意識している訳ではなかったのだ。いいや、もしかしたらこの男、私以上にもっともっと意識していたのかも。
そう思うとなんだか恥ずかしがってばかりいることこそ馬鹿馬鹿しく思えてきて、私は片手でタオルを押さえて、もう一方の手で男の腕に触れた。
火傷しそうなくらい熱いと感じるのは、やっぱり惚れた弱みだろうか。

「ふふ。では、まずは髪を洗わせてくださいな」
「…………ああ」

私が促すと、男は鏡の前に置かれたバスチェアに大人しく腰を下ろす。今度は借りてきた猫のように大人しい。
それが妙にツボに入って、ついつい笑みをこぼしてしまうと、鏡越しに朝焼け色の瞳が睨み付けてくる。けれどもそんな真っ赤な顔ではちっとも怖くない。形勢逆転だ。
ふふん、私を甘く見たことを後悔するがいい。なんて思いながら、男の背後に回り込み、その既に濡れている髪の上に、手のひらで泡立てた石鹸の泡を落とす。

「相変わらず、本当に綺麗な髪ですこと」

いっそ腹が立つくらいに、とはやはり理不尽な言いがかりだとは解っているけれど、それでもやっぱり腹立たしいし、それ以上に羨ましい。
私がどれだけ手入れを欠かさずにいたとしても、この男のこの混じりけのない漆黒の髪は、私の髪よりももっとずっと、どこまでもつややかですべらかなのだ。
絡まることを知らず、枝毛なんて一本もない、綺麗な綺麗な漆黒の髪。夜の帳を紡ぐ夜の妖精が、自身のために手づから紡いだ極上の糸であると言われても納得してしまいそうだ。
そんな美しい髪をこんな風に気安く洗わせてもらえるなんて、なんて役得なのだろう。
あれだけお風呂に一緒に入るのを拒んでおいてこんなことを言うのは現金がすぎるだろうけれど、うーん、やっぱり役得である。

「おかゆいところはございませんか?」
「別にないが……なんだそれは」
「様式美です」

美容室で髪を洗われるときの決まり文句だ。まさか自分が誰かに向かって言うことになるとは思わなかった。
この男はその髪の性質上、また立場上、誰かに髪を触れさせることはほとんどないから、こんな質問なんて初めてであるに違いない。貴重な初めてを貰ってしまったことが妙に嬉しくて気が弾む。ついつい鼻歌まで歌ってしまったりなんかして。
さてはて、それはそれとして、もともと汚れているという訳でもない髪だから、石鹸の泡立ちはばっちりだ。あまり洗いすぎると逆に痛めてしまうから、そろそろ流した方がいいだろう。

「エディ、そろそろ流しますから目を閉じて……エディ?」

どうかしたのだろうか。
大人しくなされるがままに私に髪を洗われている男の視線は、鏡の中に釘付けだ。鏡の中には、バスチェアに座る男と、背後で膝をついてその頭を泡立てる私の姿が映り込んでいる。ともすれば間抜けな姿とも見えるそれなのに、男の姿はやはりぞっとするほど色っぽく艶を孕んでいる。さながらあれだ、美貌の王様と、召使いその一……と言うと若干切ないものがある。
わ、私は一応妻だぞ。れっきとした妻。鏡の中の姿だけ見ていると、なんだか自信がなくなってくるけれど。
まあいい。いやよくはないが、それよりも、何故この男は鏡に見入ったまま無言でいるのだろう。
繰り返すが、どうかしたのだろうか。
んん? と鏡越しに首を傾げてみせると、男の薄い唇から、小さな吐息が漏れた。

「エディ?」
「いや。まさかお前に……誰かにこんなにも髪を触れさせる機会があるとは思ってもみなかった」
「あら。ご自分で一緒にお風呂に、なんて言い出されたくせに」
「別に髪まで洗わせるつもりはなかったぞ」
「まあ、でしたらわたくしは、やはり役得を頂いたと言うべきかしら」

はい、流しますよ。湯をためた桶を、男の頭の上でひっくり返す。
男が手慰みに作ったお手製の石鹸は、使っている者の間では驚くほど泡切れがよいと評判のものだ。二度、三度湯をそっとかければ、それだけですっかり泡はすべて流れて行ってしまう。

「はい、これでよろしいかと……っ!」
「どうした?」
「え、あ」

いえなんでもありませんなんでもないのです! と言っても、遅い。
私が何を見て言葉に詰まったのか、この嫌になるほど敏い男は、すぐに気付いてしまった。

「ああ、お前が昨日つけてくれた傷だが、安心しろ。別に痛くはないぞ」

鏡の中で、男が微笑む。その艶めく笑みに、私は真っ赤になった顔を覆った。
私が見つけてしまったもの。それは、男の白い背に残る、いくつものひっかき傷。普段は服に隠されていて見えるはずもないそれが、どういう経緯でついたものなのか、気付かないほど私は鈍くはない。思い当たる節がないはずがない。むしろありすぎると言っていいくらいだ。

「なんなら、今からでも増やしてくれて構わないが?」
「え、エディ、や、や、やらしいです!」

ばか! と叫ぶ私の声が、高い天井に反響する。
男はまたしても大真面目な顔になった。

「男など皆助平なものだぞ。ただそれがあけすけであるか、或いはむっつりであるかの違いだけだ」
「〜〜〜〜っ!!」

もっともらしく言ってくれるが、それで「はいそうですか」と納得できるはずがない。
もう、もう、もう、この、ばか、えっち、すけべ! と言葉にならないぐちゃぐちゃな声で唸る私を見て、男はくつくつと喉を鳴らした。
この野郎、私のこと、すっかりからかってくれやがって……! こちらはそんな余裕などまったくないのに。先程までのかわいらしさはどこに放り投げたのだこの男は。
悔しいったらないのだけれど、これ以上騒ぎ立てたって男を喜ばせるばかりなのは解り切っている。だからこそ、一つ深呼吸をしてから、コホン、とわざとらしく気を落ち着かせて咳払いをしてみせた。

「さ、エディ。髪は洗い終えましたし、お身体はご自分でもう洗われているのでしょう? さっさと湯船につかってくださいな。ちゃんと少なくとも三十秒は数えるのですよ? ではわたくしはこれで……」
「待て」
「はい?」

なんだ。まだ何かあるのだろうか。私を浴室に連れ込んだ時点でしっかり濡れていた身体から察するに、間違いなくもう身体は自分で洗っているはずだろう。この上さらに「お背中を流しますわ」なんてやってあげるほど私は甘くはないし、この男だってそこまで子供ではないだろう。
長風呂をする性格ではないことはもう知っているけれど、しっかり身体をあたためて血行をよくするためにもせめて三十秒は数えてから出てきてもらいたい。こればかりは文句を言われても譲れない。私がゆっくりお風呂に入るのはその後でだ。
そう思っているのに、何故だ。なんだ。なんだその顔は。
とびきりお美しい御尊顔に、でかでかと「不満」を描いて見つめてくる男に首をかしげると、男はむっすりとしたまま「一緒に入ると言っただろう」と続けた。
え、一緒にって。

「エディ、あなたまさか、わたくしとお風呂につかる気でいらしたの?」
「悪いか?」
「そ、ういう訳では、ないのですけれど」

その発想はなかった、とは言い訳だろうか。
あごでしゃくってみせられた湯船と、男の顔を見比べて、今度こそ言葉を失ってしまう。
一緒にお風呂に入るとは、てっきり怪我で不自由している部分を補うばかりのことだと思っていたのだけれど、その認識は男のそれとはずれがあるらしかった。それも、大幅に、という枕詞を付けるべきほどに。
無言でまた湯船と男の顔を見比べる。男は重々しく頷いた。私は微笑んだ。そして男もまた微笑んでくれたので、私はくるりと踵を返して浴室の扉に急ぎ足で向かいそして————

「きゃっ!?」

その急ぎ足が、宙に浮いた。滑らせたからだとかそういううっかりのせいではない。物理的に浮いたのだ。そのまま私の身体は宙を滑り、男の腕の中に横抱きの状態で閉じ込められる。

「エディ!」
「ともに入ろうと言っただろう?」

私の抵抗などなんなく受け止めて、男は私を横抱きにしたまま、湯船にざぶりと身体を沈めた。かわいらしい猫足があしらわれた大きな湯船が、成人の男女二人分を迎え入れる。満たされていた湯が、大きく波打ってあふれていった。
二人でつかっているからこそたっぷりであると感じられる量の湯の中で、密着した肌の温度に何もかもが忙しくなるような感覚を覚えた。
巻いていたタオルがはらりとほどけ、ひえっと息を呑む。顔を赤くすればいいのか青くすればいいのか解らない。なんだこれ。どうしろと。
何をどうすれば正解なのか、ちっともさっぱり解らない。
とにかくなんとか男の腕から逃れてこの貧相な身体を隠したいのに、しっかりと回された男の腕は、それを許してはくれないのだ。

「エ、エディ、あのっ!」
「今更恥ずかしがることもないだろうが」
「そういう問題ではないのです!」

ベッドの上で見られる身体と、お風呂の中で見られる身体。そこには天と地ほどの違いがあるのである。
確かに今更であることは認めよう。そうだとも、今更この身体の古傷を、他ならぬこの男に見られたからと言って、お互いに傷付くことはない。そんなことは理解しているし納得もしている。
だがしかしだ。またしてもぶり返してきた“羞恥心”とは、そういう理解や納得で説明できるものではないのである。
新婚の夫と同じ湯船に肌を密着させて入るなんてそんな、そんなの、何がどうあっても恥ずかしいものは恥ずかしいのだ。
なんとかタオルをかき集めようとわたわたしていると、ちょうど私の頭頂部にあごを乗せていた男が、はあ、とわざとらしく溜息を吐いた。
おいこら溜息を吐きたいのはこっちだって同じなんですが、とその顔を見上げようとした瞬間、男は、片腕を私の身体に回したまま、もう一方の手を軽く持ち上げた。導かれるようについそれを目で追いかけると、その指先から、一滴のしずくが落ちる。

————————-—ぽちゃん。

湯船に落ちたしずくが波紋を描き、そして、そのまま湯船の湯が、まるで石鹸でも溶かしたかのように、真っ白に泡立った。

「これならば文句はないな?」

それは問いかけの形を取った台詞であったけれど、同時に、「これ以上は譲らない」という強い意志を感じさせる台詞でもあった。私に拒否権など最初から与えられていないらしい。
わざわざ魔法で湯を泡立ててまで私とお風呂に入りたいとか、もう、なんだそれ。
もう何度目かも忘れてしまった白旗をまた上げる羽目になってしまった。いっそ笑えてきてしまう。というか、笑うしかない。
はいはい、わかりました。わかりましたよ。わたくしの、負けです。

「本当に、仕方のない人」

強張っていた身体から力を抜いて、大人しく男にもたれかかるようにして身を預ける。男の両腕が改めて、背後から私のお腹の上へと回された。こそばゆくもあたたかいその感触に、自然と頬が緩む。
もたれかかったまま男の顔を見上げると、間近で、ばっちりと目が合った。吸い込まれそうなはてしない朝焼け色の瞳に、私の顔が映り込んでいる。
そのとろけそうな表情は、この泡立つ湯が心地よいからか、それとも、はて。

「たまにはいいかもしれませんね」
「何がだ?」
「あなたとこうして、お風呂に入るのも」
「俺は毎日でもまったく構わないんだが」
「それは私が構います」
「そうか?」
「そうですとも」
「残念だ」

本当に、とても。
重々しくそう続ける男に、つい声を上げて笑ってしまう。その笑い声が天井にまた反響して、幾重に重なって、それからついには悲鳴が混ざる。何故かって? 男の手が、おおっぴらに口にはできないところで、ふらちに動いたからだ。

「エディ!」

何をしますのと抗議をすると、男はしれっとした顔——と見せかけた、凄みを帯びた色のある顔で「さて」と笑った。
いやいやいや、笑いごとではまったくない。

「の、のぼせてしまいますから」
「俺はもうのぼせているが?」
「え?」
「ずっと前から、お前の存在に、のぼせていると言っているんだ」

そんなばかな、と続けられるはずだった私の台詞は、そのまま男の唇の向こうに消えてしまった。
息苦しいくらいに唇を貪られながら私が学んだこと。それは、先程、この男を『おあずけを喰らったワンコ』と表現したが、訂正しなくてはならないということだ。

この男はそんなかわいらしいものではなく、『待てができない餓えた狼』であるらしい。

そしてそもそもの話、男が薔薇の棘で傷を負ったとは言っても、治癒魔法で治せばわざわざ一緒にお風呂に入る必要など最初からなかったのだ。
そのことに私が気付いたのは、完全に火照りのぼせた身体でベッドにダウンし、男に介抱されていた時だったのである。