『それぞれの誓い』

※この小説は『ミスルトウ〜約束の宿り木〜』に関連しております。本編を読ん でからお読みいただくとよりいっそう楽しめます。


 ブルーオウス及びヴィオーラヴィスキオ連合軍がギーヴェルミリオン王国に宣戦布告を出し、進軍を開始して二日目。ヴィオーラヴィスキオとギーヴェルミリオンとの国境であるこのズヴォルタ平原には、ユウマとリリィが率いるブルーオウス軍、メントレ傭兵の主力部隊が出陣していた。
「第一氷陣隊、放て!」
 ぎりぎりまで引き絞った弓を構えた兵士たちの指先から、氷の矢が一斉に放たれる。水と風のエレメントを練り合わせて作られた鋭い氷の矢は、キン、と高い飛行音を立てながら一直線に不死鳥軍の炎結界へ突き刺さる。炎と氷の衝突でできた水蒸気が一瞬で霧となり、周囲を包んだ。ユウマは、煙る視界を振り払いながら、その先を睨み据えた。晴れていく視界の先には、燃え続ける炎の壁が悠然と佇んでいる。
「ッ……次! 第二水陣隊、風陣隊で連携を加える!」
 ユウマは背後で休んでいた二隊を再度前線へ呼び戻すと、兵士たちはそれぞれ風と水の二つの性質を矢尻にコーティングした。
「タイミングを合わせろ。風陣隊は、水矢が当たる直前にかまいたちで後ろから一気に加速させて威力を出す。……放て!」
 ユウマの掛け声とともに、水と風、それぞれのエレメントを纏った弓矢が次々と放たれ、炎の壁を目指す。結界に当たった弓矢は、バリバリと雷鳴のように轟きながら、燃え尽きた。炎の壁はびくともしていない。
「くッ……これも駄目か。不死鳥は結界術は苦手としていたはずだが……いったいどうなっている!」
「まさか、あの不死鳥軍が防御一徹の構えを取るなんて予想外でしたね。王の命を狙って攻めてくるのがわかっているんだから、当然の判断でしょうか……。しかし、非常にやりづらいですね。ただ力尽くで攻められるよりも、よっぽど手強い」
「……」
 敵の策を褒め称えるようなリリィの言葉に、ユウマは、焦燥を押し殺しながら奥歯を噛みしめた。目の前には天まで届くかというほど高く上った巨大な炎の壁。国境ラインに沿って、見渡す限り朱々と聳える炎の壁は、時刻を夕暮れ時で止めてしまったかのように空と大地を朱く染め抜いている。壁越しにうっすらと見える前方には、術兵たちがずらりと居並びながら炎を出し続けていた。時折その人員は後方部隊と入れ替わっている。彼らは、全兵が交代しながら炎術を繰り出し続け、この巨大な炎の壁を作っている。
 壁に阻まれ進軍が止まってから、すでに丸一日が経過していた。ミズキたちが解放を続けるミスルトウの木の聖気を送り続けられているため、こちらの兵力は常よりも強くなっているはずだ。だがこの結界はなかなか破れず、未だに膠着状態が続いている。ブルーオーク領とギーヴェルミリオンの北と南の国境も、同じように強力な炎の結界が張られており、まったく進軍ができていない。ユウマは遠くに見える敵軍の影をぎらりと睨み付けると、準備が整った部下たちを振り返った。
「次は金糸雀のエレメント増幅術で氷の矢を強化致しましょうか?」
「頼む、リリィ殿!」
 リリィが、ブルーオウス兵の後方に控えているメントレ兵に合図を出すと、彼らは一斉に両手を空に掲げ、掌に黄金色の大玉を集めながら詠唱を始めた。
「氷陣隊、準備はいいか? 今度は皆で一カ所を狙い撃て。的は……ラルフ!」
「はい」
 ユウマの指示を引き継いで、氷陣隊の隊長ラルフは炎壁に向かって左手を伸ばすと、その先に光り輝くエレメントの的を出現させた。
「この的に照準を合わせて射ろ」
 ラルフの指示に、氷陣隊は素早く掌に氷の矢を出現させ、光の的に向けて構えた。
「金糸雀部隊、後方へ! 氷の矢を強化!」
 氷の弓を構えた兵たちの後方に、両掌を黄金色に染めた金糸雀兵がずらりと控えると、黄金のエレメントを弓矢へと一気に流し込んでいく。
「放て!」
 茜色の空を切り裂いて、四方から小さな的を目がけて瞬速の矢が駆けていく。黄金色に輝く氷の矢が的の先の炎に当たり、大気がびりびりと震え、今までのどの攻撃よりも一際大きな爆発音を立てながら水蒸気を拡散した。
「やったか!? ……これも駄目かッ」
 再び霧散した先の視界に朱色を見つけると、ユウマは内心の落胆を隠すように拳を握りしめた。
「……ん? ユウマ殿。あれは……」
「?」
 リリィの指さした先に目を凝らすと、そこだけが僅かに炎の揺れが漣のようにうねっていた。
「これは……」
「微かにではありますが、結界に影響を与えたようですよ。ほんの一瞬でも、相当に強烈な一撃があれば、そこから破れるかもしれませんね」
「……」
 リリィの言う「ほんの一瞬でも、相当に強烈な一撃」には心当たりがある。だが、今この力を使うべき時なのか、ユウマはまだ図りかねていた。今使うべきか、それとも大局を見越して、いざという時のために温存しておくべきか。あの人ならどうするだろう……かつての上司ならば、どう判断していただろう。
 ユウマはいつも、全幅の信頼と尊敬を寄せていた上官・ルカに、戦場の全体判断を下してもらっていた。自分はあくまでも近衛師団の長でしかなかった。その役目は、ただ女王を守るということ。だが将軍は違う。戦全体を勝利へと導かねばならない。たった一つの判断ミスが、数多の兵や王の命を、国の存亡を左右することになるのだ。今更ながら、自分が将としてはこれが初陣であり、ルカには遠く及ばない、まったくの力不足だということを思い知らされる。意識してしまえば、途端に緊張で鼓動が早くなり、喉が渇いていく。今ここで自分が執るべき道は? この場の将たる己の判断をたった一つ間違えば、再び多大な犠牲を払い、敗北してしまうのではないか?
「ユウマ殿? 大丈夫か?」
 急に黙り込んで俯いたユウマに、リリィがすかさず声を掛けた。
「……ああ。すまない、リリィ殿。大丈夫、ぐッ」
 突如、軽快な音とともに背中に痛みが走り、ユウマは思わずよろめいた。振り向くと、リリィがにやりと不敵な笑みを浮かべながら隣に立っていた。
「急に、お腹でも痛くなりました? それとも、ご自分の心の弱さに打ちひしがれていた、とか?」
「なっ……」
 リリィの言葉に反論を返そうとしたが、図星を突かれ、虚勢を張ることもできずにユウマは押し黙った。
「はぁ……これだから八咫烏の男は。貴方たち、せっかく真面目で何をやっても優秀、おまけに顔も男前と、イイ男の条件は揃っているのに。打たれ弱いのが玉に瑕だと言われているの、ご存知ですか?」
「……」
「他者よりも優れている、大抵のことは何でもこなせてしまう。裏を返せば、敗北経験が少ないということです。だから、突然の窮地への対応力が弱い……まあ、仕方のないことではありますし、そんな事態には陥らないように日頃から努力して回避するのが一番ですけれどね」
 リリィの言葉が、ユウマの胸にぐさりと突き刺さる。すべて彼女の言葉通りだと思った。ユウマは昔から、他人と真っ向から競って負けた記憶はほとんどない。あの二年前の戦でさえ、自分は最初から前線で戦うことさえできずに、その敗北の機会さえ逸したままだった。果たして自分は本当に将として皆の信頼を得るに足る人間なのか。だとしたら、その根拠は? 二年前のあの時から、深い後悔の底に眠らせていた不安と自信の無さが、次々と頭をもたげてくる。
「私は……ぐっ」
 ユウマの言葉を遮るように、再びリリィが背中を叩いた。
「ほら! 今は悩んでいる暇はありませんよ。貴方一人だけが不安なわけじゃない。私だって、強さでは誰にも負けない自信はありますけど、うちの国はちゃんとした戦争すらしたことないんですからね。今この陣営において、最も経験豊富で頼れる指揮官は貴方なんです。少しくらい間違えたって、誰も責めはしませんし、そうなったら、私や皆が貴方を助ける。だから、しゃきっとしてください!」
「リリィ殿……」
 リリィの瞳にははっきりと、自分への信頼の念が篭もっていた。それはかつて、自分がルカに向け、彼女からも向けられていた感情と同じものだろうか。自分は信頼されている。それならば、その期待に応えなければならない。ユウマは、ゆっくりと息を吐くと、リリィの真正面に向き直り、そのまま腰の剣に手を掛けた。
「え? あ、その……ちょっと言い過ぎました? い、いくらなんでも、それを抜くほど怒っちゃいました?」
「見苦しいところを見せて、すまなかった。金糸雀隊のエレメント増幅術、もう一度いけるだろうか?」
 ユウマは、なにやら慌てた様子のリリィには構わず、彼女の背後の金糸雀隊に目を向けた。
「え? それならいつでもいけますよ。次の氷矢にいきます?」
「いや……今度は私が。この光の剣の必殺剣を解放する。一撃必殺の剣故、ここぞという時までこの技はとっておきたかったが、そうも言っていられないようだ。それほどに、今のこの局面は大事だと、判断しよう」
「ええ、私もそう思いますよ」
 リリィの肯定の言葉に、ユウマは丁寧に頷き返した。
「一度力を解放した後、しばらくの間、この剣は普通の剣に戻り、私もエレメントを出し切ってしまうので使い物にならない。だから、その時は……」
「なるほど……了解しました。やってみましょう。貴方が力を使い切った後は、私がサポート致します」
「頼む」
 ユウマは、ゆっくりと炎の壁の前に立つと、表情を引き締めて声を放った。
「全軍に告ぐ。今から、私が光の剣での必殺剣を使う! もし、結界に綻びが生じたら、一気にそこへ集中攻撃し、炎が修復する前にあちら側へと攻め入れ」
 兵たちは、ユウマの指示を聞くや、ざっと炎の壁の前へと居並んだ。
「金糸雀隊、増幅術開始!」
 リリィの指示に、エレメントを蓄えていた金糸雀たちが、ユウマに向けて黄金の玉を放つ。無数の黄金の玉は、強固な鎧のようにユウマの全身を包んでいく。ユウマは、居合いを構えた。
「いくぞ」
 一閃——。
 刀身と平行して巨大な光線を走らせながら、目を開けていられないほど目映い剣が煌めいた。じゅわりと炎が切れる音が響く。一振りで、辺り一面の炎の壁が吹き消された。
「よ、予想以上の破壊力です……すごい」
 リリィが、あっけに取られたような顔をして言った。
「私も、まさかこれほどまでいけるとは思わなかった。金糸雀の増幅術のおかげでしょう。さて……穴は空けた。全軍、突撃!!」
 ユウマの掛け声に、開いた火柱の穴から、我先にと兵たちは翼を出して敵陣へ飛んでいく。ユウマは、力を一気に消費した反動でよろめきながらも、遙か前方に見える不死鳥軍を目指して全力で駆けた。ここからが戦の本番だ。
 敵陣は、こちらの結界突破に気づいたのか、ちらほらとこちらに近づいて来た。だんだんと距離が近づくにつれ、不死鳥たちが見慣れない防具を着けているのが見えた。
「ユウマ様!! 北東の方角をッ!」
 上空から先陣を切っていた兵の、切羽詰まったような声が響く。言われた方角を見た瞬間、ユウマは立ち止まった。
「ルカ様……」
「ルカ様!? 何故、あんなところに……!」
 ブルーオウス兵たちは、不死鳥軍の中に立つルカの姿に唖然として次々と進軍を止める。最前線は、互いにいつでも飛び出せるように構えながら、そこに分厚い壁でもあるかのように、十メートルほどの距離を保ちながら睨み合っている。
「ユウマ」
 ルカが、睨み合う両軍の真ん中へゆっくりと進み出た。ユウマは、迷いのない足取りで向かってくるルカをぎろりと睨め付けた。ざっと目測するに、数は互角程度。ルカはユウマの剣の間合いに入らぬぎりぎりのところまで近づくと足を止めた。将同士の静かな睨み合いに、両軍の兵たちはじっと耳をそばだてている。
「ユウマ。今すぐ全軍を撤退させてください。こちらに貴方たちと戦う意思はありません」
 あの強力な炎の壁を作ろうと提案したのは彼女だ。彼女は不死鳥たちでは考えられぬ高度な戦略を練り、攻撃に使うと思われていた力を全力で防御に向けさせ、有効な足止めを食らわせてきた。ユウマは、今にも爆発してしまいそうな激情をなんとか抑えながら声を発した。
「私たちの目的は一つ。不死鳥王をこちらへ引き渡していただこう。我々は正義のために進軍した。ブルーオークだけではない。このミスルトウ地方に安寧をもたらす予言の元に、かの王の存在は脅威として記された。もはや待ったはない」
「……最後に、もう一度言います。剣を収めてください」
「それはできない」
「本当にそれは、亡き女王の遺志を重んじての行動なの? それとも、貴方の個人的な感情に起因しているのかしら?」
「ッ!!」
 ユウマは、揺さぶりを掛けるようなルカの言葉に唇を噛みしめた。確かに、ユウマの個人的な感情がまったくないといえば嘘になる。王宮に仕え始めたのは、まだ十歳にもならない少年の頃。以来、ユウマはずっとミクを見守り続けてきた。気づけば彼女のことを、敬愛すべき王女としてではなく、一人の女性として守りたいと思っていた。それは彼女が先代を継ぎ女王となり、自分たち国民を守り統べる立場になっても、変わらなかった。沈黙は肯定となる。だが、今更否定する気も無い。個人的な感情も、祖国を取り戻したいという感情も、目指す方向は変わらないのだ。
「……」
 凪いだ平野に一陣の風が吹き抜け、土埃が舞い上がった。ユウマは、一足飛びに地を蹴り、躊躇いなく振りかぶった。ぶわりと、刃の先が何かに押し返され、ルカには届かずに空中で止まる。ルカは、両手を前に突き出し、見えない風陣の盾を操り防いでいる。
「ならば、こちらも容赦はしません」
「何を今更! こちらとて元より全力で戦うまでだッ! 全軍、突撃ッ」
 指揮官同士のぶつかり合いに始まり、兵士たちは、怒号を飛ばしながら戦い始める。最前では剣がぶつかり合う高い金属の音が広い平野に広がり、上空では青い鳥の弓部隊と不死鳥の投石部隊が遠距離戦を始めた。ユウマは、ルカに休みなく高速の剣撃を繰り出しながら、頭の隅で作戦を立て直そうと思考を巡らす。エレメントは先ほど使い果たしてしまったが、剣での戦闘なら負けはしない。接近戦の苦手な彼女をこのまま力で押し切って真っ先に倒し、厄介なもう一人はエレメントが回復するまで待ち、後回しにするか、それとも……そう考えながら次の手を繰り出そうとした時、ギラリと空が光った。まずい——!
「ブロー・エクレールッ」
「ソッフェレンツァ!」
 ドンドン、と、立て続けに、夜空に大輪の花が咲いた。花火が打ち上がったように見えたそれは、メイコ将軍の稲妻を、リリィがまったく同じ術を逆方向、地上から天へ向けて繰り出して相殺してできた火花だった。この一瞬の好機に、ルカは大きく飛び退きユウマから距離を取った。
「へぇ……軟弱なメントレのくせに、なかなかやるじゃない」
 ルカの上空にはもう一人の厄介な敵、メイコ将軍が、ちょうどユウマの上空後方を飛ぶリリィを挑発的に睨みながら、その大きな橙色の翼を悠々と羽ばたかせていた。  
「決めたわ。あの最強結界を破った八咫烏も気になるんだけどさぁ……私、だいっ嫌いなのよねぇ。自分の真似されるのって!!」
 メイコが、背負っていた大剣を一瞬で構え、真っ直ぐにリリィへと突っ込んでいく。剣同士が凄まじい音を立ててぶつかった。リリィも大剣を構えメイコの大振りな一撃を受け止めている。ぎりぎりと鍔迫り合う二人は互角の力でせめぎ合う。
「おまけに、獲物まで一緒だなんてねッ! ムカつくから、さっさとその剣、折ってあげるわ!」
「ふっ……まったく同感ですね。国の最強と謳われる者同士、どちらが強いのか、ここでハッキリさせるのも悪くないですねッ」
 メイコとリリィは闘争本能に火がついたのか、巨大な剣を豪快に振り回しながら激しい打ち合いを始めた。
「メイコ! 全軍、防御の陣よ! いったん引いて!! 勝手な行動は」
「いいじゃない! もう十分時間稼ぎはできたでしょ? さ、次はこれでも食らってなさいッ」
 メイコはルカの制止を聞かずに、誰にも邪魔はさせぬとでも言うように遙か上空へと飛び上がり、雷術を開始する。
「時間稼ぎ……?」 
 ユウマは、はっとしてルカを見た。彼女の冷静沈着な顔色は、ぱっと見れば何を考えているかまったく読み取れない。だが部下として長年ルカを間近で見続けたユウマには、その顔に少しの苛立ちと安堵が滲んでいるのが窺えた。苛立ちはおそらくメイコの発言に対して。それならば、安堵は? 不死鳥らしからぬ炎の壁という作戦。戦う意思はなく、防御に徹した装備に陣形。そして、時間稼ぎ——。
「まさか……こっちが囮か!!」
 ユウマは、咄嗟に背後……遙か遠くのプロメッサを振り返った。