嗚呼、愛しのバケツプリン

「ぷっ、ぷっ、ぷりぷり、ぷっ、ぷりり〜♪」

 ひどく脳天気な歌が部屋中に流れている。
 メロディはともかく、その歌詞はなんだその歌詞は、とツッコミを入れたくなったのは、どうやらその場にいた全員らしいことが、見交わした目と目でわかった。知らぬは唄っている本人だけ、である。

「ぷぷり、ぷりぷり、ぷりぷりり〜♪」

「……なんの唄だよそれは」
 放っておくと、ひたすら脱力させられる唄がこのまま続きかねない。目と目で譲り合った結果、結局こういうときはいつも矢面に立たされるメルエルが、アティーシャに向かって質問した。
「なんの唄、って、わかんない?」
 アティーシャは、心外だ!とでもいうように目を丸くした。
「プリンの唄に決まってるじゃないか! 愛しのバケツプリン! 麗しのバケツプリン!素晴らしいバケツプリン! 嗚呼バケツプリンバケツプリン、ラララ〜♪」
「あーはいはい」
 唄うだけでなく、爪先だってその場でくるくる廻りだしたアティーシャに、メルエルはうんざりした声を出した。

 ここは聖楽学院の学生寮、その学生たちの食事を一手に引き受ける巨大な調理場である。頭にバンダナを巻き、どこから探してきたのやらエプロンを腰に巻いて、手にボールや泡立て器やらを持っているのは、毎度おなじみ、アティーシャ・メルエル・トールディの三人組だった。

「だって、いよいよバケツプリンとのご対面なんだよ!? これが思わず唄わずにいられようか、いや、ない!」
「反語まで使って感動を表さなくていいから」
「というかあのサディが反語なんて知ってるなんて」
 
 ことの起こりは、アティーシャがいきなり、『バケツプリンが作りたい!』という奇妙な情熱に取り憑かれてしまったことだった。
 なんでも、ネイトが夜食に作ってくれたプリンが非常に美味だったらしい。その美味しさに感動したアティーシャは、そのプリンが大きければ大きいほど、食べたときの幸せも比例して大きくなるのではないかと、単純に考えたのだった。
 そこでアティーシャが企んだのが、『プロジェクト・プリン』——略して『プロプリ』である。
アティーシャたち三人の目の前には、オーブンから取りだしたばかりでホカホカ湯気をたてている、巨大なバケツがデーンと鎮座ましましている。現在冷めるのを待って、バケツからプリンを抜こうという最終段階だ。
 
「ああ、長かったよねえ。『プロプリ』を立ち上げてからここまで来るの」
 アティーシャは、昔を見晴らすような遠い目になってため息をついた。
「なんかもう回想モードに入ってるよ」
「懐古趣味のお年寄りみたいだな」
 肩をすくめるメルエルたちに、アティーシャはイーッと顔をしかめてみせた。
「だって、本当に大変だったんだもん。ちょっとくらい感慨にふけってもいいじゃんかっ」
「過去を振り向くより前のめりに進んで死ね、っていうのが我が家のモットーだから」
 メルエルはそうあっさりと片づける。しかしアティーシャはなおも言い募った。
「ネイトさんに協力を断られてから今日まで、どれだけかかったと思う? ああもう我ながら自分で自分を褒めてやりたいよ!」

 当然、バケツプリンを作るにあたり、アティーシャはネイトに手伝ってくれるよう頼んでみたのだ。しかし、返ってきた返事は。
「……あなた、馬鹿ですか?」
 という、木で鼻をくくったような冷たい言葉だったのだ。
「なんで私がそんなことをしなくちゃなんないんですか」
「えー? だって面白いじゃないですかー?」
「食べ物で遊ぶのは好みではありません。品のない」
「そりゃあ、バケツプリンはお上品とは程遠い食べ物だと思いますけどー、ロマンじゃないですか! 遙かなる憧れですよ!」
「どうやらあなたとは使っている辞書が違うみたいですね。ロマンという単語を私の辞書でひいてみても、プリンに対しての用法は金輪際ありません」

 かくして、アティーシャがどれだけ「ケチ」「意地悪」「いけず」「根性悪」と小声でぶちぶち言ってみても、ネイトは頑として知らぬ存ぜぬを貫いた。
 しかし、一度ロマンに燃え上がったアティーシャの熱情は、そんなことではくじけなかった。代わりに、メルエルとトールディを仲間に引き入れて、本日のバケツプリン製作と相成ったのである。
 トールディは素直に大きなプリンを作るのはおもしろそうだ、ということで、すぐに手伝ってもいいよ、と頷いてくれた。メルエルはしばらく考えていたが、アティーシャが、バケツプリンは自重がどうのとかいう問題で無理だとネイトが言っていた、という話をすると、急にやってもいいな、と言い出した。どうやら、プリンの強度と自重についていろいろ調べてみるらしい。

 かくして、三人での『プリプロ』がスタートした。

 プリンの作り方は、以前何度か話をしたことのある調理人のイッセイに聞いた。
 イッセイはどうやらロマンのツボがアティーシャと非常に近いらしく、バケツプリンを作りたいと相談を持ちかけたら、両手をあげて大喜びで協力を申し出てくれた。昼食の後かたづけが済み、夕食の支度まで間がある休日の昼下がり、こうして調理室を使わせてもらえるのは、彼の尽力あってこそである。
 材料の卵、牛乳、砂糖も、イッセイが寮の食事で使う食材を購入するついでに、一括で用意しておいてくれた。おかげで、自分たちで買うよりかなり割安についた。なにより、卵を50個も買い出しに出かけるなんて、それだけで休日が一日潰れてしまうところである。
 いちばん大きな問題は、バケツだった。
 鍋やケーキの型などではなく、バケツにこだわるのは、プリンの持つその美しい山形のラインをどうしても再現したいからである。
 平べったいプリンや、ケーキのようなプリンじゃ、たとえどれだけ大きくてもロマンがないじゃないか! ちっちゃなプリンをそのまま同じ形で、巨大にするのが粋ってもんだろ? とアティーシャは力説した。
 しかしさすがに、一度使用したバケツを調理に使うのは、いかなアティーシャといえども避けたいところだった。新品のバケツを使いたい。それもできれば、店に店晒しになったりしていない由緒正しい保管をされている新品のバケツ。
 由緒正しい保管、ってなんだよ、とメルエルあたりはツッコミを入れたが、トールディにはアティーシャの言いたいことがわかったようだった。
 彼は、新たに婚約し直したマデリーンに連絡をとり、チェンバース家お抱えの鋳物師に、新しくプリン用のバケツを製作してもらうよう依頼した。
 ミモラーザ商会という豪商の息子であるトールディだから、実家に頼んだほうが余程早いと思うのだが、マデリーンに連絡を取るいい口実が出来たと内心喜んでいるらしい。
 そして本日。無事に届いたぴかぴかのバケツを手に、アティーシャたちはイッセイの指導のもと、プリン作りに取りかかったのだった。
 
 まずは卵を割る。とことん割る。
 アティーシャが殻を割り、メルエルが混ぜ、トールディがそれをザルで漉す、という分業体制だ。
 空になった殻がどんどん積み上がる。タンポポ色の液体が鍋にたぷたぷと揺れるのを見て、さすがにヤバいような……という空気が、どこからともなく流れてきた。が、三人はあえてそれを無視した。

「うわあ、さすがにすごいねこの量!」
「オムレツにしたら何人前かな」
「サディに任せておけば一人でペロリと平らげるのは間違いないな」

 無理矢理気分をハイテンションに。深く考えたらなにかに負けてしまうような気がする。
 次いで、大量の牛乳を流し込み、鍋ごと火にかけた木ベラでゆっくりかき混ぜる。人肌程度に暖めたところで、最後に砂糖を袋ごとどさっと投入。雪かなにかの固まりを入れたような感触である。

「これ……食べたら太るだろうね……」
「言うな」
「大丈夫! あれは白い魔法の粉なんだよアハハウフフ」

 砂糖が溶けきったところで、ようやくバケツの登場である。
 泡が立たないよう静かにそそぎ入れ、湯を張った天板に乗せる。そして、暖めたオーブンの中へ入れて、じっくり焼いた。
 串焼きを作るときに使う金串を借り、中に突き刺して焼き上がったかどうか確認する。水気が出てこなければ、焼き上がった証拠だ。そして——。
 こうして、三人の注目する中、湯気をたてたバケツがどん、と机の上にあるというわけなのである。

「……そろそろいいかな?」
 バケツはなめらかなクリーム色の豊かなプリンで満たされている。そのツルツルとした美しい表面は、今にもスプーンを突き立てずにはいられないほど、蠱惑に満ちた輝きを放っていた。
「とりあえず、一回ひっくり返してみる?」
「うーん、もう少し完全に冷めてからのほうがいいと思うけどな」
「大丈夫だよメルエル。なんたって、きみの言うとおり、牛乳の量を減らして卵の量を多めにしたんだから」
 普通のプリンを作るのと同じ配合では、柔らかすぎて崩れるだろうとメルエルは言った。そのため、少し硬めになるのは仕方がない、と、卵の割合を増やすことにしたのである。
「ほら、みてよこの表面。柔らかい、っていうより、弾力がある感じ。プルプルよりプニプニ」
「その感覚的ないい加減な表現を、なんとなく理解できるようになった自分が悲しいよ」
「まあまあメルエル。サディの言うとおり、そろそろいいんじゃないかな。バケツもほら、もう手で触れるくらいの温度になったし」
 笑いながらトールディが取りなして、三人は机の上に置いた大きな平皿の上に、バケツをひっくり返そうとした。
「あ、ちょっと待って!」
「え、なに?」
「この皿だけじゃ心許ないな」
 そういうと、メルエルは食器棚へと向かい、大きな銀の盆を取ってきた。プリンをあけようとした皿の下へ敷く。
「万が一、ってこともあるからね。皿だけで食い止められないといけない」
「えー、そんな不吉なこと言わないでよお」
「あはは。万が一だって、万が一」
「よし。じゃあ万が一の用意もすんだところで——いよいよひっくり返しますか!?」
 アティーシャはワクワクしながらバケツに手をかけようとした。
 だが——再度メルエルからストップがかかる。
「あ、ちょっと待って!」
「まだなにかあるのメルエル?」
 アティーシャはうんざりした顔をした。メルエルは苦笑するる
「端っこが焦げてくっついてたら困るからさ、ほら、こうして……」
 言いながらメルエルは、焼き上がりを見るのに使った金串をバケツの端にさした。プリンをバケツから剥がすように、くるりと周囲を一周させる。
「あ、そっか。なーるほど」
「すごいじゃん完璧じゃん」
「もうこれで大丈夫だよ、ね?」
 アティーシャたちは顔を見合わせた。

 そして。

「せーの!」
「いっせーのーせっ!」
「よいしょっ!」
 思い思いの掛け声とともに、バケツを皿の上へとひっくり返した。
 代表してメルエルが、ゆるゆるとバケツを左右に動かす。
「あ……落ちて、きた」
「ほんとっ!?」
「ほんと。今、すぽん、って手応えがあった。……バケツを抜くよ?」
「うん! 気をつけてねメルエル!」
「しっかりっ! 応援してるからねっ!」
「……バケツ一つ抜くのに応援されてもなんだかな……」
 メルエルはぼやきながらも、しっかりとした手つきでそろそろとバケツを上へ持ち上げた。
 少しずつ黄金の壁が見えてくる。そして、上からとろとろとしたたり落ちるカラメルシロップ。息を止めたメルエルが、最後までバケツの縁を抜ききった瞬間、ぷるりん、と小さく揺れて、バケツプリンがその偉容をすべて表した。

「おおお——っ!」
「で、出来た——っ!」
「ま、まずまずの出来なんじゃない?」
 
 三人はどよめいた。
 頭頂部の直径が、アティーシャたちの頭ほどもある大きなプリン。それが、ふるふると震えながら、クリーム色の輝きを放っている。

「なんか……食べ物というより、帽子かなんかみたいだね」
「伝説に出てくる魔物とかにいそう、こういうの」
「なに失礼なこと言ってるんだよ二人とも! 謝れ! バケツプリンに謝れ!」
 アティーシャが唇を尖らせてそう叫んだときだった。

「……あ」
「……崩れた」

 ぷるぷる震えていたバケツプリンの、その揺れがさらに大きくなったかと思うと、中央部がまず沈み込むように、ついでその周囲もつられるようにぐすぐずと崩れていった。

 決・壊。
 その言葉がこれほどふさわしい様子もない。津波のように崩れたプリンは皿から溢れ、メルエルが念のためにと用意した盆の上へとこぼれて止まった。

「あああ——っ!」
 アティーシャは悲鳴をあげた。
「そ、そんな——っ! せっかく上手く出来たと思ったのにーっ!?」
「うーん。やっぱり自重に耐えられなかったか」
 メルエルは、どこから取りだしたか紙とペンを手にすると、底面積がどーの、総重量がどーの、普通のプリンとの体積比はどーの、と言いながら計算を始めた。
「……重さもともかく、まだ中心の部分が完全に冷えてないよ。ほら、柔らかいもん」
 トールディがスプーンでプリンの残骸をつつく。そして、ペロリ、とそのスプーンを舐め——にっこりした。
「うん。美味しいよ」
「そりゃ美味しいはずだよ、あんなに新鮮な卵と牛乳つかったんだもんーっ」
 アティーシャはうめき声を上げた。
「でもでも、味もさることながら、僕はバケツプリンで棒倒しするのが夢だったのにっ! こんなぐずぐずになってちゃ、棒もたてられないよー」
「仕方ないよ。崩壊はあらかじめ定められていた運命だ」
 メルエルも、計算に納得がいったのか、肩をすくめた。
「崩れて美味しさが変わらないことだけは感謝しなくちゃね。これ……僕ら三人で全部平らげなきゃなんないんだから」
 そう言うと、メルエルはアティーシャの肩をぽん、と叩いた。
「きみはよくやったよサディ。この学院に残る伝説が一つ増えたんじゃないか?」
「うん。この衝撃の結末を、僕らはいつまでも語り継ぐよ!」
 トールディも笑いを噛み殺しながら、アティーシャのもう一方の肩を叩く。
「ううう……。こうなったらリベンジだ! リベンジしかないっ!」
 アティーシャはぐっと拳を握りしめると、天を仰いだ。
「失敗は成功の元! 昨日の敵は今日の友! ともかく、どうして崩れたか原因究明して、再度挑戦あるのみっ! 『プリプロ』リベンジっ!!!」
「元気があるのはいいけどさ……その台詞、このプリンの残骸全部食べてから、もう一度言ってもらえる?」
「…………」

 とりあえず、その夜の夕食は、三人ともパスする羽目になった。

<< 聖鐘の乙女へもどる

トップページへ ページの先頭へ