王子様とお茶を

 いつものように丁寧に入れた休日の紅茶を、ネイトが運んできた。
 平日とは違って、ゆったりとした贅沢な時間が流れる休日の昼下がり。こんなときにネイトが選ぶのは、柔らかな香りと澄んだ味が特徴のシロン産の茶葉。そして、太陽にかざせば光が透けそうに繊細で白い肌が美しいオセラス焼きの磁器。本日はお茶菓子として、バターをたっぷり使って焼いたマドレーヌが添えられていた。
 シロン茶のふくよかな芳香と、職人の技の粋をこらした薄い茶器の温もりを楽しみながら、サリアンはネイトに声をかける。
「……今日は、サディはどうしているんだい?」
 猫足のサイドテーブルに茶器を並べながら、ネイトはほんのわずか、注意しなければ気づかないほどかすかなため息をついて答えた。
「……あのような取るに足らない者にお気を配るのはおやめください、と、何度も申し上げたはずですが?」
「私も何度も言ったはずだけどね、ネイト。取るに足らないような人間はこの世にはいないと。すべての人間は、生まれはどうであれ等しく大切に扱われなければならない、と」
 サリアンも、輝くような笑顔を浮かべて真っ向からネイトに言い返した。
「それが、はからずも王家に生を受けた私が、けっして忘れてはいけないことだと思うが。忘れた瞬間、私は王家に属する資格を失うよ」
「……至言、恐れ入ります」
 まったく恐れ入った様子もなく、ネイトは頭を下げる。しかし、無表情だったその唇には、かすかに微笑みが浮かんでいた。
「……で? サディはなにをしているの?」
「結局またそれですか。……どうしてサリアン様は、あの子供のことを、そんなにお気にかけられるのです?」
「だって、楽しいじゃないか。おまえから聞くあの子の話は、元気で天真爛漫で……少しだけオマヌケで」
 くすり、とサリアンが笑みをこぼす。
「このまえ、ハサミが見つからなくて大騒ぎした話はおもしろかったな。あと、インクをひっくり返して、おまえの服にまで大きなシミをベットリつけた時の話も。うんざりしたおまえのそのときの顔を、私もつくづく見てみたかったよ」
「お人の悪い」
 ネイトは、苦虫を噛みつぶしたような顔になった。
「もうあんな騒動は二度と起こして欲しくないですね。こりごりです」 
「絨毯にこぼしたというインクは取れたのかい?」 
「はい。さすがにノワデーロ名産の絨毯だけありましたね」 
 目が詰まって織られているし、羊毛の油分も多いうえ、縒りもしっかりしているから、インクをキレイに弾いて、ほとんど染み込まずにすんだ、とネイトは言った。
「私の部屋着をダメにされたのが心底残念でしたが。サリアン様よりいただいた上質の麻で仕立てたもので、何度も水通しして、素晴らしい着心地になったところだったのに」
「それは災難だったね。……でも、インクで汚れただけなんだろう? 部屋着なら、誰に見せるわけでもなし。少しくらいシミがついていたって着心地がよければ、それでいいんじゃないのか?」
「いえ、いけません」
 ネイトはきっぱりと首を振った。
「いつサリアン様の御前に伺うともしれない身であるのに、お目汚しするような服を纏うわけには参りません」
「本当に実直だな、おまえは」
 サリアンは苦笑した。
「おまえの洗濯技術でも落ちないなら、街の洗濯屋に出しても歯が立つわけがないだろうし。私は、シミの一つや二つ、気にしないのだがね」
「執事見習いとしての私の矜持が許しません」
 ぷい、とネイトが横を向く。その様子にますます苦笑を深めながら、ふと思いついたようにサリアンは言葉を継いだ。
「あ、そうそう。洗濯で思い出したが——先日、サディが洗って返してくれたハンカチ、あれはよかったよ」
「よかった……とは?」
「アイロンのかけ方とか、糊の利き具合がね、私好みだった。おまえが指導したのだろう?」
「ええ。彼に任せていたら洗うどころか、ハンカチを破かれかねない勢いでしたから」
 その時の様子を思い出したのか、ネイトが顔をしかめる。
「彼は、絹どころか、麻の洗い方も知りませんでした。故郷では、ひたすら力任せに棒で叩いて汚れを落としていたようです」
「叩く……?」
 サリアンが首を傾げる。ああ、とネイトは説明した。
「厚手な木綿など、丈夫で、仕事で汚れるのが当然のような布は、その汚れ方もハンパじゃないですからね。織り目の奥まで汚れが染み込んでますから、思い切り叩いてその汚れを奥から浮かすのです。足で踏みつける場合もあります」
「……なかなか、力のいる仕事なんだね。洗濯というのは」
 サリアンは、少しだけ目を丸くした。
「いえ、サリアン様のお召し物はほとんどが絹や麻、薄手のローンやガーゼなどですから、そんなに叩く必要はありません。……というより、手荒に扱うのは厳禁です。布が傷みます」
「それを聞いて少し安心したよ。では、ハンカチ程度なら、大した手間ではないのかな?」
「それはそうですが……なにをおっしゃりたいので?」
「ん? 私のハンカチは、これからサディに洗ってもらおうか、と思って」
 ネイトが眉を上げた。
「私の仕上げにご不満がおありでしょうか? ならば今後改善いたしますが」
「おまえに任せていたら、いつも糊が利いて、手が切れそうにパリっとしたハンカチを寄越すからね。サディくらいの仕上がりのほうがくたっとしてて使いやすいと……。まあ、これは冗談だけれど」
 愕然とした表情になったネイトに、サリアンは安心させるように頷いた。
「おまえに不満はないよ、ネイト。ただ、今後ハンカチはサディに洗わせたいのだが」
「おそれながら、理由を伺ってもよろしいでしょうか?」
 ネイトは無表情に尋ねた。
「ただの思いつきであられるのであれば、このネイト、承服いたしかねます」
「おまえ、そんなにハンカチを洗うのが好きなのかい?」
「そうではなくて! サディはサリアン様の庇護下にあるとはいえ、臣下ではございません」
 ネイトが珍しく少しだけ不満をにじませた声で、サリアンに意見した。
「彼の本分は勉学であり、音楽の才を磨くことです。たとえサリアン様といえど、気まぐれになにかを言いつけるのは、筋が違うのではないかと」
「……正論だな」
 サリアンは穏やかに微笑んだ。
「確かに、気まぐれでサディにハンカチを洗わせられるような権利は私にはない。彼の労力、彼の時間はすべて彼の物だ」
「でしたら——」
 言いかけたネイトを、サリアンは片手を上げて制した。
「以前から気になっていたんだ。……たしか、サディの故郷はトゥールズという西国の村だろう?」
「左様でございますが」
「西国といえば、あまり裕福な地方ではないはずだ。彼には、故郷から仕送りが来ている様子などがあるか?」
「……いえ。そのような様子はございません」
「とすれば、だ。サディは自由に使える小遣いなどほとんど持っていないんじゃないかな」
 ハンカチを洗ってもらうという名目で、彼に小遣い稼ぎをさせてやるというのはどうかな、とサリアンは片目をつぶってみせた。
「一日に五枚も六枚もハンカチを必要とするほど、私の行儀が悪いとは思わないのだけれど。一日一枚、それだったらたいして負担にもならないんじゃないかな?」
「サリアン……様……」
「よほど苦労するようなら、おまえが手を貸してやってもいいのだし」
「……きちんと賃金という対価を得るのに、私が手を貸す義理もございませんね」
 ネイトはぷい、と横を向いた。
「とりあえず、二階の手洗い場で洗濯するように言っておきますよ」
「…………なるほどね」
 サリアンの唇に、微笑みが浮かぶ。
 三階のネイトたちの部屋から近いのは、当然同じ階にある手洗い場だ。しかし、その手洗い場は北の方角に面しているせいか、水が冷たい。二階の南の手洗い場の方が、もっと穏やかな温度なのだ。
「……つくづく、不器用な男だな」
「なにかおっしゃいましたか?」
「別に」
 サリアンは輝くような笑顔を向け、それ以上ネイトが口を開くのを封じると、再び茶碗を取りあげてゆっくりと味わった。

 

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